MS. CryCa

Ms. CryCa結成について

執筆:山崎陽介

 デビューシングルがすでにリリースされてしまったので、順番としてすこしおかしい気もするが、Ms. CryCaというユニットの結成の経緯や目標について話したい。今月、Ms. CryCaというユニットを結成した。結成自体が決まったのはじつは今年の3月だ。その後3か月を経てようやくデビューシングル「憧憬」をリリースした。
 ボーカルのsaqraさんとは共通の友人を介して知り合った。今後ぼくが作っていきたい音楽の方向性にぴったりの歌声だと思い一方的にオファーをしたところ快く承諾してくれた。本当にありがたい。彼女は実力もさることながら音楽的な素養もおそらくはぼく以上に持ち合わせており、レコーディングのときはぼくの拙いディレクションの一つ一つに真摯に対応してくれるし、ユニットの活動方針にも向き合ってくれる。いつも本当に助かっているし、信頼もしている。
 Ms. CryCaというユニットを今後のぼくのメインの活動としていきたい。これまでぼくはそう短くない期間漫然と曲を作り続けてきた。ようやく作曲に本腰を入れて取りくもうと腹をくくったのが一昨年の初め頃。高校生のとき以来自分はずっと、作曲とはなんら関係のない哲学への関心にもっぱら身も頭も囚われていた。いま思えば何と無駄足を踏んでしまったのだろうと思わないこともない。しかし、何度やり直しても不可避的に同じような道を歩む羽目になるだろうという確信を同時に抱いているため、もはや後悔の念はない。またそういう無駄足を踏んだからこそ手にすることができた矜持もある。哲学的な思索に没頭してきた自分が哲学を辞し作曲に取り組もうと思うに至った経緯を、今から少しだけ話したい。
 高校生のころ、『純粋理性批判』をはじめとするカントの著作を夜通し夢中になりながら読み耽っていた日々を覚えている。あのほとんど狂気じみた熱狂の日々から、気づけば5年がたっていた。それまでの間、西洋哲学という名で括られるさまざまな分野のさまざまな本を自分なりにかいつまんでたくさん読んできた。その結果たどり着いた一つの結論は、哲学は本質的に克服されるべき営みだということだ。治療という行為が多くのばあい治療からの脱却を目指して行われるのと同じように、哲学のゴールもまた哲学という営みからの脱却にある。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』という著作はしばしばそのような主張を提示しているものとして解釈されることがあるようだが、ぼくは別段そこに乗っかっているだけではない。もっと多岐に及ぶ道すじ、それこそヴィトゲンシュタインよりも後世の哲学者クワインやデイヴィドソンの言語哲学、ラリー・ラウダンやファン=フラーセンの科学哲学、ハンナ・アーレントや東浩紀の政治理論の読解が、ぼくをそのような結論に至らしめるのに大きくはたらいた。その詳細についてはここではどうでもいい。とにかくぼくはある時から、哲学それ自体を目的として哲学に取り組むことはやめようと思った。そこには結局ぼくが求めているものは何もないということに気づいたからだ。そうなったとき、ぼくは作曲を目的として生きていく以外の道を考えられなくなった。
 思えば哲学について意識的に考え始める前からぼくはずっと作曲をやってきた。というより、哲学について意識的に考えるようになる以前、中学生のころにはすでに作曲家として生きていこうとなかば腹をくくってすらいた。哲学について考えるようになったことが原因で、作曲という営みはそれに比べればいくらか取るに足らないものであるという錯覚に陥っていたが、実際はつねに作曲をやりたいという気持ちがわだかまっていたはずだ。だからこそいくら細々とであれ8年ものあいだ続いてきたのだと思う。絶望的に飽き性の自分がこんなに長く続けることができたものは他にない。けれど、もしかしたらこれもまた数年後にはけろっと変わっているのかもしれない。「作曲なんてやっても意味ないよね」とせせら笑う自分がいるのかもしれない。しかし、少なくともいまは作曲以外にやりたいことが何もない。だからぼくはMs. CryCaというユニットを結成し、そこで作曲に本気で取り組むことにした。ちなみに、ソロではなくユニットというかたちでやっていこうと考えたのは、ぼく自身歌にあまり自信がないからということに尽きます。ただ、それも今現在の話にすぎなくて、そのうちぼくがひょろっと出てきて歌い始める可能性だって排除できません。
 とにかく、どうせやるならできるだけ多くの人々に聴いてもらえるようになりたい。積極的に外へ開いていきたいし、何よりMs. CryCaというユニットをポップな存在にしたい。こんなことを言うのは野暮かもしれないが、ぼくはかなり野心をもってやっていくつもりです。ぜひ今後の活動をお楽しみに。

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